らくらく情報ひろば
横浜・港北発 年一度のチャリティバザー「らくらく市」とその参加団体の情報、地域の話題をお伝えします。
地域イベントや地域の動きを広めるには?
残暑お見舞い申し上げます。

夏祭りや花火大会など、夏休みの行事が各地で盛んですね。

さて先日8月2日、初めての「しんよこ映画祭」が行われました。
(参照:一つ前の記事
太尾小学校4年生の原作・脚本で、地元で撮影が行われた『おじさん公園のひみつ』(探偵濱マイクシリーズの林海象監督、佐野史郎「主演」)上映では、親子で会場が8割方埋まりました。太尾小学校の校長先生もあいさつされました。
続く『いのちの作法』は、地域福祉をテーマにした力作で、関心のある方が鑑賞にいらっしゃいましたが、会場はちょっと閑散としていました。
そのほか、地元高校生の作った映像作品や、主催の「ピリオド」による『らくらく. 街. 15』や『菊名「川」物語第1章』も上映されました。
個々の映画のテーマや作風はみな異なるものの、通じていたのは「地域」、そして20代以下の若い人たちの作品であること。ピリオドの2作は別ですが!
地域の映像のアーカイブをめざす「ピリオド」ならではの、港北の映画祭として続いたら、と思うのですが。

しかし今回は、PR不足だったようです。
上映作品は充分魅力的で、マスメディアに取り上げられていれば、もっとたくさんの観客がお見えになったでしょう。

お客様の感想にも、マスコミを使ってもっと宣伝すればよかったのでは、といったものがありました。
地域のメディアでは、このブログを別にすれば、新聞折り込みの『タウンニュース』に掲載されたくらいですが、地域のミニコミにいくら載っても、新聞1紙の影響力には負けそうです。

7月28日に行われた「心のバリアフリーを考える大倉山市民の会」の地域フォーラムでは、区の地域福祉保健計画と、区社協の地域福祉行動計画の現状を考えるディスカッションが行われましたが、これら計画が、周到な準備、広報によって地域に浸透を図ったにもかかわらず、地域住民にあまり知られていないと、参加者から指摘されました。

それを聴いて考えました。
港北のようなベッドタウンでは、情報収集はどうしても東京発信のマスメディア指向になってしまいます。これは全国的な傾向かもしれませんが、地方では地方紙や地元TV局が一番影響力があります。東京近郊はそういうことがあまりありませんね。
神奈川新聞やテレビ神奈川があると言っても、発行部数、視聴率は全国紙、東京キー局の比ではありません。まして、地域のミニコミはどれだけ浸透しているでしょうか。市(区)の広報紙もそうです。
このブログも同じ、いや、同じと言うにはあまりにもおこがましいですが...

マスメディアに頼らざるを得ない、というより、マスメディアにも情報を提供して取り上げてもらうことは、地域のイベントや活動を広めるには必要なことなのでしょう。
もちろん地道な地域でのPR、口コミも忘れてはいけませんが。
当ブログはその「地道」部門を今後も担います(?)。
今年の「らくらく市」は、プレスリリースを全国紙の支局や放送局などに送ってみましょうか。
管理人の「初夢」?
管理人の新春は都内の実家で迎え、3日には港北に戻ってきました。
今年の港北は、日吉と中山を結ぶ地下鉄が新たに開通したり、新横浜駅の駅ビルがオープンしたりと、街の姿がまた変わってきます。
変化の激しいこの街で、ともにらくらく生きて行くための知恵を出し合って、さまざまな「バリア」をなくしてゆきたいものと思います。

さて私には、数年来あたためている「夢」があります。

ひとつは「まめどまめ計画」!
大豆戸町で大豆をつくろう! 大豆自給率を耳かきほどでも高めよう!
というお話で、これは昨年の今ごろ勃発した「あるある大事典」に端を発する「納豆パニック」から構想したものです。
とりあえずマンションのベランダで大豆をつくり、手前みそならぬ手前納豆をつくるのが「夢」でした、が、昨年は私の転勤などでばたばたし、言うばかりで何も着手できませんでした。
今年こそは、と思っています。
ご協力いただける方は、ぜひお肥を、いやお声をおかけください!

もうひとつは、私自身の今後の生活のあり方に関するもので、私的なことですので、詳しくは述べませんが、切実な問題です...(「夢」ではないかこれは)

さてもっと大きな「夢」もあります。
リアルな「らくらく情報ひろば」を開きたい!
「市民活動支援センター」「サポートセンター」のようなものを、行政に頼らずに(支援は受けるにしても)市民の手で開きたい、というものです。
街の中の便利なところに、ある程度のスペースをもった場所を確保し、会議や作業を行うことのできるスペースや、さまざまな資料を保管できる書庫をつくりたい。非営利市民活動をする人たちの共有のスペースであり、交流の場であり、情報収集と発信の場でもある。「らくらく市」の事務局もここに常駐する・・・
これは現状ではとても困難ことで(港北区の「市民活動支援センター」もできそうにありません)、まさに「夢のまた夢」なのですが、賛同が得られれば実現に向けて考えてゆきたいと思っています。
もちろん、区内に「支援センター」ができれば、その運営に参加するなど道はありますが、その見込みのない現状では「夢」はもっと大きく考えたいのです。

「初夢」と言うにはあまり「夢」らしいお話でなくて、スミマセンでした!
今年もどうぞよろしくお願いします
すっかり遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。

今年の「らくらく市」は、皆の知恵でますます充実したものにしたいものです。

2008年は「成熟」をめざしましょう!

旧年に増して宜しくお願い申し上げます。


2008年1月
らくらくネットワーク・プロジェクト らくらく情報ひろば管理人
今年一年お疲れさま。来年も宜しく。
らくらく市参加団体の皆様、そしてこのブログをご覧いただいている皆様、
2007年中はお世話になりました。

12月10日に開かれたらくらく市実行委員会では、来年の開催に向けていくつかの課題が出されました。(こちら参照)これはらくらく市の歴史でも余りなかった、積極的、前向きな動きだと思います。実行委員会でどなたかがおっしゃったように、「成人」したらくらく市は「成熟」してきたのかもしれません。

一方このブログは、できるだけ多くの、参加団体の情報や地域の情報を掲載して、日常的なコミュニケーションの手段にしようと考えて運営しておりますが、力不足は否めません。
さらに皆様のご参加(管理人への情報提供や、「掲示板」への書き込み、記事へのコメント)をお願いしたいところです。

来るべき2008年が皆様にとって希望に満ちたよい年となりますように。
来年も宜しくお願い申し上げます。

らくらくネットワーク・プロジェクト らくらく情報ひろば管理人
歴史的大変化の「大倉山」?:東京新聞「TOKYO どんぶらこ」から
11月10日土曜日の『東京新聞』最終面「TOKYO どんぶらこ」は全面にわたって「大倉山」特集でした。

建築史家・建築家で建築探偵で、路上観察家でもある上、東大教授でもある藤森照信さんによる、「大倉山記念館」に関する蘊蓄と、吉田美穂記者による界隈ルポ。中川希美さんによるイラストマップも載っています。ルポもマップも大倉山駅西口側、エルム通りを中心にしたものです。

●誤解から生まれたギリシャ風のエルム通り?

藤森さんはおもしろいことをお書きです。
「現在、丘は大倉山といい、その駅は大倉山駅といい、その商店街は大倉山商店街というけれど、もとをただすと明治から続く日本橋の紙問屋の名前なのである」
  大倉精神文化研究所をつくった大倉邦彦は、日本橋の紙問屋「大倉洋紙店」のオーナーでした。

「大倉さんは、神様、仏様のみならず、キリスト教、イスラム教、儒教など世界の宗教の統一と世界の調和を願っていたというが、その願い同様、大倉山の"構成"もなかなか気宇壮大で...(中略)...地下室には地球の中心点を示す、たしか"留魂碑"とかいう石標が立っていた。大倉山は実は地球だったのである」

記念館の建物は、ギリシャ様式に先行するプレ・ヘレニズムの様式。
「その設計をしたのは、長野宇平治(1867〜1937年)という大正、昭和戦前を代表するシブい建築家で、あれこれ悩んだ果てに、ギリシャ以前にたどりついたということ」

「かつて"地球"だったあたりは公園となり、商店街にはギリシャふうといえばいえなくもない列柱が並んでいる」「ギリシャ以前がギリシャに化けている」
「長野宇平治が目ざしたのは、ヨーロッパ文明の出発点であるギリシャのその前だったが、...私が本など書いたせいで誤解が生じたといえばいえる」
  藤森さんは『建築探偵神出鬼没』(朝日新聞社 朝日文庫)など、何冊かの著書で大倉山記念館のことを書かれていますが、間違ったことをお書きでないのに、責任を感じていらっしゃるよう...

●町名変更は歴史的大変化?

吉田記者のルポはこういう書き出しです。
「もうすぐ大きな変化がこの街に起きるらしい」
  言うまでもなく、町名変更です。吉田記者は、太尾町の名の由来もお書きです。

「かつて海岸線がこの辺りまで迫り、大倉山が岬のように突き出た様子が、動物の太い尾のようだったというのがその名の由来。昭和初期までは駅名も太尾駅だった」

このあと、「トツゼンベーカーズキッチン」「岩田屋酒店」「カヴァヌーラ」「ピオン」「わかば」といったお店や大倉山記念館の水曜コンサートや梅林のことなどを紹介し、最後にこうしめくくっています。
「今月19日から町名も『太尾町』から『大倉山』になるという。恐るべし、大倉山の浸透力」

ギリシャ風街並みも町名変更も、「誤解」から生まれたような感じですね... 恐るべきはそういうことでは?


今の時代、歴史の重み、その長さというものが大事にされていないのか。今さえよければいい、今のイメージが当座の利益につながればいい、という考えが多くないか。

エルム通りを産んだ商店街の皆さんを批判したくありませんし、むしろ街の顔をつくったアイデアと団結力には敬服していますが、町名変更には私はちょっと違和感があります。
隣町に住む者が口はさむことではないかもしれませんが、どうも落ち着かない。
(私はかつて10年間、太尾町に住んでいました)

私達が次代に誇りをもって伝えることはあるのだろうか、とまで考えてしまいます。

元来この土地と縁のない人がつくった「大倉山」がこの土地にわずか70年余りで「土着」してしまった。これまでの歴史と伝統を覆い隠すように。これまでの歴史が恥ずかしいものであったと言わんばかりに。

吉田記者は「歴史的な大変化」と書かれました。たしかにその通りだと思います。「大倉山」にお住まいの皆様、どう思われますか?