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津波被災地の現状 宮城県山元町を訪ねて

久々の「管理人の記」です。
暑かった8月も最後の週になり、急に涼しくなってきました。
秋雨前線の影響のようですが、この前線が西日本や北日本の各地で豪雨を降らし、大変な被害をもたらしています。
らくらく市関係者も豪雨被害への支援活動を始めています。現地へ入り、直接的な支援をされている方も増えているようです。
ところで、東日本大震災から間もなく3年半。復興はまだまだのようです。しかし盛んだったボランティア活動への参加者は減っているようです。
私は8月30日、「かながわ災害ボランティアバスチーム」のツアーに参加し、夜行日帰りで宮城県南部の山元町へ行って参りました。最小催行人員をわずか上回る人数の参加でした。大学生から70代までのまさに老若男女混成のチーム。
活動内容は、現地の復興農地の草取り等の支援です。
早朝現地に着き、まず「語り部」の方に津波の爪痕が残る現地を案内していただきました。

山元町1

未だに開通していないJR常磐線の山下駅(跡)。常磐線はここより西側(山寄り)に線路を移設することになっていますが、用地買収に難航して未だに着工できていません。旧線はかさ上げして県道を通し、海岸の新防潮堤とともに二重の堤防にする予定になっています。こちらも、新県道の海側に戻った住民との同意が進まず、未着工。行政の復興計画はなかなか進んでいません。

山元町2

山元町3

津波で壊滅的な被害を受けた旧中浜小学校。2階の天井まで津波が達しました。ここの子どもたちと先生方は、平成元年にできたモダンな校舎の屋根裏部屋(3階)に全員が逃げ、一晩を明かし、全員が助かったとのことです。そのため校舎を震災遺構として残すことについて議論されていて、現在も、かなり片付けられてはいますが、ほとんど津波襲来当時のまま残されています。普段は立ち入り禁止ですが、語り部さんのおかげで立ち入ることができました。屋根裏部屋には上がることができませんでしたが、この命を救った屋根裏部屋の様子はGoogle Earthのストリートビューで見ることができます(2013年1月撮影の画像)。

山元町4

校舎2階から見た海岸。左(北)側に新しい防潮堤が見えています。右(南)側の海岸は津波によってできた入江になっています。学術的に貴重な地形との指摘があり、この部分だけ防潮堤がまだできていません。海岸には松林があったのですが、ほとんど流出してしまいました。あと6年かけて植林する計画だそうです。

山元町5

海岸近くに残った欅。地元の人々の願いを記したイエローフラッグがかけられています。

山元町6

山元町は標高200〜300mの丘陵と太平洋にはさまれた南北に細長い町です。仮設住宅や復興住宅は山沿いに作られ、新市街地は常磐線新線近くに造成される計画です。仮設住宅はほとんどが国道から離れた山中にあり、生活に不便です。その仮設住宅の住民の仕事をつくるために、さまざまな団体が支援を行っていますが、私たちが今回お手伝いしたのは、そのうちのひとつ、桑茶をつくるための桑畑です。旧常磐線の海側にあり、これまでに瓦礫撤去、除塩などの土作り、植栽、草取りと大変な作業が行われてきました。今回は草取り(草抜き)。夏草は桑の木を覆い隠すように生い茂っていました。26人が約4時間、鎌や鍬をふるい大汗かきつつの格闘! お昼には地元の方からスイカの差し入れをありがたくいただきました。

ほんのわずかな現地滞在時間でしたが、津波の爪痕の大きさ、復興の大変さを実感して参りました。
これからも機会があれば現地支援に伺いたいと思います。
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